『小倉百人一首』と『和歌』
遠い記憶のなかの『百人一首』
我が家には『百人一首』が2つある。
1つは、幼い頃に使った古いモノ。
1つは、数年前に買った未使用のモノ。
どちらも母から譲り受けたものだ。
目次
思い出の『百人一首』
古い方は、箱もボロボロ。
でも、懐かしい・・・
50年前、父の釣り道具の空き箱に、
私が、お気に入りの色紙を貼った。
思い出の『百人一首』。
読み札をテーブルに広げて見ていると
次男が、夜釣りから帰って来た。
色紙が、少しはがれかけたその箱に、
興味津々の彼。
3950円!安っ!!
時に彼は、意外なところに反応する。
受験生の『百人一首』
そして、私の見ている読み札を
息子が、のぞき込んできた。
見たことある?
序詞(じょことば)
◎3番歌 柿本人麿
あし曳の 山鳥の尾の しだりをの ながながしよを ひとりかもねむ
『これは1番有名な和歌だよ。
大学受験で勉強した人は皆知ってる!』
この和歌を解説すると、
「あし曳の 山鳥の尾の しだりをの」
◎序詞:イメージを作る言葉
序詞の部分は作歌上の飾り
「ながながしよを ひとりかもねむ」
◎下の句:伝えたい想い
そう言いながら、
次々に読み札をめくる。
『これも知ってる!これも知ってる!』
テイスティングのようだ!
序詞はワインを表現する言葉と似てる。
「鋼のような硬さのある鋭い酸味」
「満開の桜の下を歩いているような香り」
「水晶のように澄み切った色」
専門家だけに伝わる特殊な比喩表現
◎鋼のように硬く鋭い → 酸味
◎山鳥の尾のように → 長い夜
知は力なりと『百人一首』
息子は、『百人一首』の解説を続けた。
大学受験では、
国語に泣かされた彼であったが、
受験勉強で得た知識は、すごかった。
すらすらと楽しそうに説明する。
私は、うれしくなった。
「知は力なり」
イギリスの哲学者
フランシス・ベーコンは言った。
「人間の知識は、経験で構築される」
理科系の彼には、古典は文学ではない。
入試問題を解析し検証して得たデータ。
そして経験論的に構築し知識に変えた。
浪人生が盛り上がる!
『百人一首』
◎『百人一首』は、百人の歌人の和歌。
◎一人一首ずつ選んでつくった秀歌撰。
◎現在は、かるたとして知名度が高い。
読み札:作者名と和歌と肖像画
取り札:仮名で、下の句 のみ表示
枚 数:読み札 100枚・取り札 100枚
材 質:和紙を何枚も重ねて貼った厚紙
サイズ:7.4x5.3㎝
『百人一首』一覧
『百人一首』一覧を作成しました。
下記の①~⑤のとおり。
< 白洲 正子のことだま >
言葉にはことたまというものがあり、意味だけわかっても、それこそ何の意味もないことを、今度ほど痛感したことはない。
しぜん私の興味は、人間とその周辺に向ったが、そこでも学問の足りなさを嘆く始末となった。
その反面、毎日ちがう人物に会えることがたのしみで、王朝の人々とともに、遊んだり悲しんだり恨んだりしてすごした。
(出典元)『白洲正子 全集 第七巻』新潮社
『百人一首』の歴史
1235年、宇都宮蓮生(鎌倉幕府の御家人)は、京都嵯峨野(京都市右京区嵯峨)に、別荘・小倉山荘を建築した。
そして、藤原定家(公家)に、小倉山荘の屏風・襖を装飾するための色紙形を「百人の歌人から一首ずつ選んでほしい」と頼んだ。
藤原定家は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、「古今集」や「新古今集」などの「勅撰和歌集」の中から、百人の歌人の和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙形にしたためた。
当時、この色紙形は、「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」「小倉色紙」などと呼ばれた。
後に、藤原定家が、小倉山荘で編纂したという由来から、「小倉百人一首」と呼ばれるようになった。
< 小倉百人一首 の 入門書 >
古くから日本人に愛された望郷歌
若々しい匂やかな恋歌
機才頓智に富んだ歌
王朝びとの風流、和歌の雅を
心ゆくまで堪能できる百人一首
遠い記憶のなかの『百人一首』
遠い記憶のなかのお正月・・・
私は小学生。
母は、着物に割烹着。
私も晴れ着を着ていた。
父の前に座り新年のあいさつ。
そしてお年玉をもらった。
夜は、家族で団らん。
テレビ見たり双六したり。
『百人一首』したり・・・
『百人一首』と正月遊び
私は、読み札を見るのが好きだった。
恋する歌姫 紫式部。
世界3大美人 小野小町。
キラキラ女子 清少納言。
読み札には、
作者名と和歌と肖像画が書かれていた。
仮名がフラれていたが、
当時の私には、意味不明な文章だった。
「これは私の札」
勝手に決めた和歌があった。
それがこれ ↓
『む』で始まる読み札はこれ一つ。
だから、『き』で始まる取り札の場所を
「いの一番」に確認しておく。
これで、私も必ず1枚は確保出来た。
私の記憶の中には、
いい思い出だけが残った。
家族でやった『百人一首』。
抑揚を付けて、和歌を読む母の姿。
懐かしい正月の思い出。
『百人一首』と家族遊び
なぜ、私たち家族は正月になると
『百人一首』で遊んでいたのだろう?
私は母に理由を尋ねてみた。
「私もね、実家でやっていたのよ!」
と彼女は言った。
そのことを思い出して
『百人一首』を買ったのだそうだ。
そして、自分の家族と遊んだ。
平成になって、孫ができて、
また、『百人一首』で遊びたくなった。
『百人一首』では、いつも読み手の母。
次は自分も参加したいと思い、
朗詠cd付『百人一首』を買った。
そんな可愛い母である。
< 朗詠cd付『百人一首』>
今は、コロナで長居は無理だけど、
母が元気なうちに、もう一度、
『百人一首』をやりたい。
きっと88歳の母は、思い出すだろう。
嫁入りする前の「娘の時の思い出」と
嫁入りした後の「母としての思い出」と
遠い記憶のなかの『百人一首』。
今日の復習問題
最後に今日の復習問題をします。
小倉百人一首
今日のテーマの復習だよ
クイズ 百人一首の秘密?
最後まで読んで頂いて
ありがとうございます!
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